今回も前回に引き続き物流用語として、前回の物流業に続いて「運輸業」という言葉について考えたいと思います。少し混乱してしまうかもしれませんが、総務省が管理する統計分類上の業種の分類である日本標準産業分類で物流に関連する一番大きな分類は、「運輸業」「郵便業」となります。さらに、もう少し細かい分類の中分類として「鉄道業」「道路旅客運送業」「道路貨物運送業」「水運業」「航空運輸業」「倉庫業」「運輸に附帯するサービス業」「郵便業(信書便事業を含む)」の8分類に分かれます。現在の国が定める産業の分類では、倉庫業も運輸業の一部とされていますが、それは前回の物流の話でさせて頂いた作業区分で見ると運輸作業の一部として倉庫を見ていることから一緒の分類という考え方です。今回はまず運輸業について歴史背景など含めてお話しし、次回に運輸業と倉庫業の違いについてご説明したいと思います。
日本工業規格(現日本産業規格)の「輸送」という言葉の定義は、「貨物をトラック,船舶,鉄道車両,航空機,その他の輸送機関によって,ある地点から他の地点へ移動させること」ですが、運輸ということになると、さらに「お客様から依頼を受けて」という言葉が付け加えられます。つまり、運輸とは「お客様からの依頼を受けて、貨物をトラック、船舶、鉄道車両、航空機、その他の輸送機関によって、ある地点から他の地点へ移動させること」とされます。今回の定義は、比較的簡単ですね(笑)。言葉の定義でいうと、正確には運輸、運送、輸送、配送など、運ぶことについてもそれぞれ言葉の定義が違うのですが、今回はまとめて運ぶ仕事を運輸業と統一してお話ししたいと思います。
運輸業という商売の始まりは、貨幣経済が浸透し始める鎌倉時代後期から室町時代にさかのぼります。日本の運輸の始まりは海運業であり、主要港を中心に都市の発展が実現しました。陸上輸送は内陸水運、荷車、牛車、馬車により行われており、内陸部の大都市には、主に川や水路などから荷揚げされることがほとんどでした。この頃の運輸は運ぶことに特化している訳ではなく、それぞれ商売している事業者が自社の商品を販売するために移動している、つまり自家物流がほとんどでした。海運業で有名なのが北前船で、北は北海道小樽から、東北・北陸・山陰を通って瀬戸内から大阪に至る港町が大きく発展したのもこの時期です。わかり易く言うとこの時代の運輸は「売買して運ぶ」のが基本と言えます。つぎに明治から大正、昭和初めは、段階的に鉄道網が形成されることにより大量輸送手段が開発されるのと同時に、国内輸送のみならず、海外輸送も大規模に国家事業として行われ、輸送の大量化と価格競争の激化にさらされるようになりました。これにより輸送の事業者の集約が進みます。今まで売買して運んでいた形から、運ぶことを専業にする事業者が増え、利益構造が変化します。「まとめて運ぶ」時代になったのです。ちなみに、この時代の中心的な貨物は、繊維(45%)、飲食(20%)、化学(10%)、機械(8%)となっています。最後に昭和中期以降、特に戦後昭和30年代に、車による輸送が急増し、輸送全体の70%をトラックが輸送する時代に突入します。これにより、今まで輸送の中心的な拠点として活用されていた港や駅などに縛られた物流拠点や生産拠点が、土地の制約がなくなることにより、爆発的に拡大し、業種は細分化され多様化しました。さらに、貨物量の大幅な増加に呼応して、高速道路整備が進み、輸送の高速化とともに、全国路線トラック輸送網が形成されます。インフラの整備と産業の発展に支えられて、運輸事業者の進出も進み、平成に入ってからの規制緩和の法改正も手伝い事業者は、平成19年までうなぎ上りに増加。それ以降は横ばいになっています。これは経済動向が厳しく貨物の動きが鈍くなるなか、事業者間の競争が激しくなったことにより、生存競争が厳しくなったのが原因と言われています。「特化して運ぶ」時代なのではないでしょうか。
このように歴史的にみても、運輸業は時代を作ってきた商売と言えます。その時その時に、変化に合わせて、ただ運ぶのではなく、「○○して運ぶ」という付加価値を必ず意識して経営している事業者が生き残っており、日本という国の発展を支えているように思います。運輸業は、本当に凄くて恰好いい仕事ですが、運輸事業者が考える次の「〇〇」は何なのでしょうか。この〇〇について、同じ物流事業者として意見交換できると事業者間の繋がりも強くなるのではないでしょうか。
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