前回は、環境問題から事例をお話しし、そこからエネルギー革命に繋げてお話しましたが、今回は特にエネルギー革命に絞って、事例を交えつつ物流のお話をしたいと思います。実はこの話は、多視点力という見る角度をたくさん持つ努力とも繋がり、私自身すごく興味のある話題です。学説ではいろいろありますが、前回も簡単に説明した通り、第1次エネルギー革命は自然エネルギーと火を利用した時代、第2次エネルギー革命は化石燃料と蒸気機関に表される動力機関を使った時代、第3エネルギー革命は石油と電気の時代と言えます。それぞれの時代の変化とともに、実際にどのような社会が形成されていたのか、また人々の生活や社会と一体化している物流はどのような機能を求められ、そしてどう変化していったのか2回に分けて説明したいと思います。
それでは最初に、第1次エネルギー革命「木材を中心にした自然エネルギー」についてお話したいと思います。皆さんは、江戸時代に書かれた歌川広重の浮世絵「東海道五十三次」をご存知でしょうか?現在でいう東京日本橋から京都三条大橋に至るまでの、東海道の宿場町を中心に描かれた浮世絵集の名作です。この作品の中で最近拡がっている噂話があります。描かれている山々に森林、つまり密集された木が描かれていないこと。つまり山がことごとくはげ山なのではないかという噂です。あくまでもこれは噂で、実際のところ広重がすべての宿場を巡って書いたかどうかもわからないことから、この浮世絵の真偽はわかりませんが、実際にこの時代に材木が不足していたかどうかとなると、確実に枯渇し大変な状況になっていたようです。実は、木材の伐採による森林破壊は、飛鳥時代(6世紀後半から8世紀初頭)から近畿で顕在化していました。これは、日本最古の歴史書である日本書紀に、木材の伐採を禁止する勅令が記述されていることからも推測できます。
そもそも、この自然エネルギーの時代、日本は高エネルギー大地で、豊富なエネルギーが溢れている平和な国でした。周辺を海で囲まれて、海を渡る風で運ばれた湿った空気が日本の真ん中を貫く山脈にぶつかり、雨となって大量に陸地に降り注ぐことで、非常に豊かな水、木、風、土に囲まれていたのです。
そして前述の日本書紀にも記載されていた時代になると、都市の形成が始まり、背後の山林を中心にエネルギーを確保して、良好な港を要する地域が発展し、山陰、瀬戸内、畿内が大都市化してきました。大都市の人口増加と比例して、周辺のエネルギー資源である木材が枯渇し始め、都市間を資源や食料物資の輸送が活発になるのと同時に、周辺部への都市の移動が始まります。畿内から九州、四国、東海、そして関東に歴史の中心が移動していった原因は、エネルギーの枯渇が無関係ではなかったのです。この頃の物流の中心は、船による輸送でした。大都市化が進んでいなかった頃は、近隣の輸送のみ使われる小舟でしたが、大都市間の大量輸送に変化するにつれて、船の大型化と船舶技術や港湾技術の進歩がなされます。港周辺で生産された様々な物資を集約するための河川の存在、天候に左右されにくい港の存在、当時移動できる最大移動距離との関係、そして物流関係者が宿泊や物資の調達ができる環境の整備など、都市の発展と物流は表裏一体だったのです。
この自然エネルギーの時代は、日本では江戸時代まで続く長い時代です。その間、エネルギーの枯渇が起こるたびにその時の為政者による規制とエネルギー源の拡大確保がなされてきました。いま私たちが暮らす都市も、河川や運河、山や海の景色も、実は大きな時代の流れとともに、エネルギーや物流の変化と連動して変わってきています。そう考えると歴史の勉強も楽しくなりませんか。
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